矢田作十路について
矢田作十路(やた さくじゅうろう)1937年(昭和12)12月24日~2018年(平成30年)5月30日は、日本画家。雅号は白羊。日本の荒海や山間の静寂を題材にした作品や、中国の古典にならった虎や龍の作品を多く残している。仏教にも造詣があり羅漢山宝住寺の釈迦三尊像や十八羅漢の石像の下絵を制作、城西山安養寺と羅漢山宝住寺の七条袈裟なども制作した。
生涯
1937年12月24日、京・綾部市にあった京友禅の家系の長男として生を受ける。幼少期より友禅最高峰の職人であった父・矢田茂久雄に師事し筆を握っていた。特に野花と野鳥を好み毎日時間を忘れスケッチに没頭していたという。そして10歳のときにはその才が認められ早くも秘技の伝授が始まり天才的な筆致で人々を驚かせた。一時期、悟り・境地を求め絵道具だけを持って丹波の山奥に隠遁してしまうが、23歳(1960年)のとき、父・茂久雄の引退に伴い、家督と雅号の「白羊」を襲名する。作十路という人物は友禅職人である事に高い誇りを持ちながらも、絵を描くことと弟子の育成以外、世間の雑事にほとんど興味を示すことなく妻・博美の献身的な貢献に支えられていた。
齢40となった1978年(昭和53年)頃から、墨絵を本格的に描きはじめ、齢53(1990年)には地元綾部市の臨済宗禅徳寺が達磨大師の石像をつくろうと計画中であると知って「役立てるのなら」と石仏の下絵と合せて縦2m横1.3mの達磨大師像を奉納した。齢60となった1997年には、日本南画院に籍を置くようになり、参与として後輩の指導に携わるようになる傍ら本格的に作画に取り組むようになる。そして三年後の2000年には作品【美山の郷】を広く世間に発表し読売新聞社賞を受賞した。これを機会に絵画分野で門扉を開き、「白羊の会」を発足し広く弟子の受け入れを始めた。その際、代々の秘技を弟子達に惜しげもなく伝えるにあたっては、作十路には子がなく後継者不在であったからとも言われている。2002年には越前海岸を描いた【走る波】を発表し日本南画院展で特選を受賞した。これは作十路には自信となり、画家として遅いデビューを取り返すかのようにこの先ひたむきに描きつづけ、翌年2003年には山口県の元乃隅稲成神社から冬の海岸を描いた【ホルンフェルスの冬】を発表し日本南画院展の作家賞を受賞した。そして翌2004年には越前海岸を描いた【岩波】を発表し日本南画院展楽土賞を受賞した。同年、新設された十八羅漢の石像を配置した京都・羅漢山宝住寺の大心字庭園が完成する。この石像の下絵は全て作十路が描いたものであり、併せて釈迦三尊像の掛け軸も同寺に納められた。2005年になると個展を開くようになり、求められて描く機会も増えてきた。2006年には長野・乗鞍高原の滝を描いた【静谷飛泉】が日本南画院展秋邨賞受賞。この作品を描く際には厳寒であったにもかかわらず三時間以上一心不乱で描き続けた逸話は語り草になっている。2007年~2008年は作品を求めてくる人の要望に応えるように、鯉・龍・虎などの中国文化色濃い作品を多く発表する。2009年、作品【寂寥】を発表すると蒼林社展で京都府知事賞を受賞する。これには普段あまり喜びを表さない作十路ではあったが、珍しく笑顔で喜んでみせたという。2010年には船上から見た鳴門の渦潮を船酔いに任せて描いた【渦潮】を発表し創設50周年を記念した日本南画院展で特別賞を受賞した。2011年~2012年は個展や多くの支持者の要望に応える作画に取り組む傍ら、弟子育成機関である「白羊の会」の活動に力を入れた時期でもあった。2013年には大作【潮騒】を発表する。この作品は金色を使い月光を表現するなどこれまでにない作風で周囲を驚かせたが、見事に日本南画院展で衆議院議長賞を受賞したのである。翌2014年には作十路は国際交流の場にも活躍を広げ、日本とスイス国交150周年のイベント期間中に若きスイス人留学生達に墨絵教室を開催し大評判であった。作十路はその際にスイス人留学青年たちのひたむきな姿勢に「たいした集中力だ」と感心していた。翌年には、日中国交イベントにも絵画教室を開催し中国人留学生たちや来日した重慶市の学生達に墨絵を伝授した。
晩年
2016年になると体調が思わしくないなか、大作【巣立ち】を発表する。手足に不自由さを感じながらも車椅子上で必死に描ききったこの作品は、今、正に巣から旅たたんとする子鶴の姿が自身の体調とは裏腹に生き生きと描かれた秀作であり、阿部晋三内閣総理大臣より自由民主党総裁賞を贈られた。だが、これが作十路の遺作となる。2017年には地元綾部市から文化大賞を贈られ受賞式には体調思わしくないなか車椅子で出席し最後の姿を見せた。同年スペインとベルギーから芸術分野も含む社会的に貢献した人に授与されるベルゴイスパニック十字王冠4等勲章を受勲するも式典には病床にあって参加できなかった。翌2018年春にはフランス国から芸術分野に於いて活躍した人物へ贈られるアンクラジュマン ピュブリック(社会功労奨励勲章)が贈られることになったが、その発表直後の同年5月30日にこの世を去った。地元の病院で妻に看取られての最後であった。名前の如く死ぬ間際、病床にあっても動かない手で絵を描かんとするその姿は日本画の最高の境地を追い続けた生涯であった。同年10月8日に行われたアンクラジュマン ピュブリック勲章のパリでの受勲式典には作十路に代わり親族が招待され代理受勲した。
没後
2019年にフランスのマドレーヌ寺院に作品【波濤】が公式に寄贈されたことが、「本場芸術の国に認められた!」と広く報道された。同年、作品【枯蓮】がスペインのコリア・デル・リオ市にも支倉常長の縁あって公式寄贈された。そして2020年に作品【静寂】が伊勢神宮神楽殿に公式奉納された。
2021年3月・京都嵐山に矢田作十路記念館が開館し多くの作品が常設展示されている。
作風
矢田作十路が父親以外に師事したとの記録はなく日本画家でありながら狩野派の影響下であったとは思えない。作十路は、京友禅に伝わる一子相伝の技法と水墨画の伝統技法を融合させた作十路でなければ描けない至高の芸術を完成させるのに尽力した人物であり、彼の作品から他派の影響を探すのは困難であるが、一部の図様について類似点があるのは確認できる。
作十路は相伝の画法に通じた後、その画法を捨て、宋元画(特に濃彩の花鳥画)に学び、模写に励んだ。さらに、模写に飽いた作十路はその画法をも捨て、実物写生に移行した。この実証主義的気運の高まりは、妻の運転での旅の中での写生の実践で培われとみられる。
仏画は好んで描いたが、人物画の作品はなく、白紙ベースを上手く活かした墨での綿密な描写を特徴とする風景画を得意とし、写生画とは言い難い、作十路独特の感覚で捉えられた色彩・形態が「写生された物」を通して展開されている。
遺作の【巣立ち】は、風景画として今まさに旅立たんとする鶴を描くが、それはさまざまな表現と形態のアラベスクを織り成す華麗な作品であり、綿密な写生に基づきながら、その画面にはどこか近代のシュルレアリスムにも通じる幻想的な雰囲気を漂わせた作十路の集大成である。